ぐみごよみ

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風のむくまま      気の向くまま      そこはかとなく     書きつづりませう

カテゴリ:にほんご( 61 )

スーパーのお菓子の棚に
抹茶の入ったお菓子が並んでおりました。
LOOKの抹茶が入ったのを手にとって購入。
食べようとパッケージを良く見ると。

「玉露入り抹茶」と書いてありました。


「玉露入り?抹茶??」

凝視して声に出して読んでみましたが、
やっぱり

「玉露入り抹茶」と書いてあります。


「抹茶入り玉露」なら
ないやろぉけど
まぁあるか?!な??

って感じですが、

「『玉露入り抹茶』は
絶対ないやろ!!」
って叫びました。



なぜないか?って??

これは一保堂さんというお茶屋さんのHPです。
http://www.ippodo-tea.co.jp/tea/grouping.html
こちらは小山園さんというお茶屋さんのHPです。
http://www.yamamasa-koyamaen.co.jp/trivia_flow.html

玉露と抹茶の原料になる碾茶(てんちゃ)とは、
覆いを被せた日陰で育ったお茶です。
玉露は縒りをいれながら乾燥させて仕上げますが、
碾茶は乾燥したあとまだ、工程がかなり残っています。
乾燥させた後、大きさを揃え、茎と葉脈を取り除きます。

そのあと、もう一度乾燥させます。乾燥させたあと選別をして、
保存させます。
その後、使う時に、石臼で挽いて抹茶になります。

つまり、
玉露と抹茶を比べたら、
抹茶の方が手間がかかっているんです。

だから
「玉露入り抹茶」はおかしいって思うんです。

「玉露入り抹茶」ってことは、
縒りの入ってる玉露を挽いてあるってことなのかしら?
お茶として抽出してから混ぜてあるのかしら??

どちらにせよ
「抹茶入り玉露」はありえても(私的にはないだろ~ぉなんですが・・・)
「玉露入り抹茶」はないわ~ぁ
って心底思います。


ただ・・・
最近抹茶味のお菓子が増えてきて、
本来の抹茶じゃないものを
抹茶としてお菓子に入れているっていう話も聞きますので、
そうなると、
普通の煎茶を粉にして抹茶としてるのなら
「玉露入り抹茶」もありえるのかも・・・とも思います。

でも・・・それって
そもそも抹茶じゃないよなぁ~

「玉露入り粉末茶味」だよなぁ~

と思いました(笑)


ちなみに
「抹茶入り玉露」が私的にないだろぉ~って思うのは、
本来、玉露自体が大変おいしいお茶であるため、
抹茶を入れてお茶の味を足してやらなくても
十分お茶自体を楽しめるからです。

「抹茶入り玄米茶」とか
「抹茶入り緑茶」というものは、
お茶自体の味が今一なのを
抹茶を足すことにより味を調えているのでしょう。

ですから、
私的には
「抹茶入り玉露」はありえないって思っています。


これから暖かくなってくると、
お茶関連商品がたくさん店頭にならんできます。
ちょっと気にして
商品棚見てみてください。
色々気づくことがあるかもしれませんよ(^^)/


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by pen-p | 2016-02-19 15:50 | にほんご | Comments(0)

オモダカ

お義母さんはお茶をされています。
そのお稽古の時のお道具の話を聞いていたときのこと、

「『オモダカ』って『オモダカ』でええねんかなぁ」
「『オモガタ』と違うやんかなぁ」とおっしゃいました。

「植物の『オモダカ』やったら『オモダカ』でいいとちがうかな?」と
答えました。

そのお道具の箱書きに
「沢」「潟」と書いてあったというのです。


新潟の「潟」なので「だか」でなく「がた」かもという話になったのだそうです。


そこで、
漢字自体を調べてみることにしました。
いつもの『新選 国語辞典(小学館)』と『新字源』(角川書店)の登場です。(笑)


沢瀉 オモダカ科の多年生植物。水辺にはえ、夏、三弁の白色の花をつける。
(『新選 国語辞典(小学館)』より)

瀉 そそぐ。水を流しかける。 水が下へ流れ出す。 
(『新字源』(角川書店)より)

とありました。

沢の水が流れ出すところで生えているので
「沢瀉」とはなかなか風流な名前です。ね。


ということは
「潟」ではなく「瀉」がやはり正解のようです。



ところで、
今日、お父ちゃんがさつきちゃんと散歩に行ったとき
お土産をもって帰ってきました。
近所の川辺に咲いていたのだそうです。
沢瀉の花です(^^)/



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by pen-p | 2015-08-01 15:56 | にほんご | Comments(0)

逝去とは

「桂宮さまが逝去」

とネットのニュースや新聞では書かれていました。


しかし、
「逝去」という言葉がひっかかってなりません。


で、
調べてみました。


「逝去」 人の死を尊敬していう語(小学館 新選国語辞典)

「逝去」は一般人の死に対しての言葉であろうと推察できます。


では、
皇族の方々の死にたいしてはどのような言葉があるのかというと、


「崩御」 天皇・皇后・上皇・法皇などがおなくなりになること

「薨御」 親王・女院・摂家・大臣が死ぬことの尊敬語
     ※女院=天皇生母・内親王 大臣=正一位~従二位)

「薨去」 皇族または三位以上の人が死ぬことの尊敬語

      (以上 旺文社古語辞典)

現在は「薨御」は使われていないようです。
考えてみれば、皇后以外の天皇生母は現在ではありませんし、摂家もありません。
大臣といっても平安時代の貴族がなっていたそれとは別なので、
「薨御」の対象となる方がいらっしゃらないので、使われなくなったのかもしれませんね。


で、
このたびの桂宮さまが薨られたことにたいして
使われるべき言葉は、
「逝去」でなく「薨去」とすべきだと思います。

「薨去」と首相官邸のHPなどではきちんと使われているようなので
ほっとしましたが、
やはり古来からの言葉の使い分けというものは
身に付けておくべきだと思います。

ましてや、
新聞などのマスメディアがきちんと敬語が使えないというのは
非常に問題だと思います。


「行幸」・「行啓」なんかもきっと使い分けることをしてないんだろうなぁと
思ってみたりします。
そんなことはない!ちゃんとマスメディアは使い分けているというなら、
それはそれで喜ばしいことなのではありますけれどね(^^;
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by pen-p | 2014-06-10 17:02 | にほんご | Comments(0)

小保方さんの論文に思う

STAP細胞自体が
あるかどうか。

そんなことは私には分かりません。

あれば素敵だなとは思いますが、
その検証は
専門家といわれている方々に頑張っていただきたいです。


私は、そもそも彼女の「論文」
に対する認識が残念でなりません。


大学在学中、
「論文」を書くという作業をするのに
最低限必要なことを学びました。

もちろん、
私は理系ではなかったので、
実験の結果の扱いや
それに伴う画像の処理の仕方や
画像の利用の仕方は当然知りません。

しかし、
自分の専攻した学問において、
さまざまなものの調べるツール。
言葉や史料の調べ方、
史料の扱い方、
先行論文の扱い方、
論文に記載する際に
気をつけなければならないことなど
多岐にわたった「論文」を書くということに
ともなう作業の仕方を学んだと思っています。

そして
それが普通だとおもっていました。

でも、
ネット環境が飛躍的に良くなり、
人が書いたものを
そのままコピーペーストできるようになったころから、
大学生のレポートが自ら書いたものと
人の書いたものの区別がなくなってきたという話を
いろんなメディアで目にしたり
耳にしたりすることがポツポツありました。


そして今回のこの騒ぎ。


小保方さんは今回の騒ぎで
気づいたのでしょうか?

資料を扱うことはどういうことで、
資料の信憑性は何によって
確立されているか。
実験と実験結果とそれに伴う資料、
先行論文と自らの意見や結果の
取り扱いはどうせねばならぬのか。

なぜ今回これがこんなに問題になっているか?



そしてこれをきっかけに
最高学府たる大学の諸先生方には
学生に「論文」を書くという作業のイロハと
引用・資料の添付・先行論文の扱い(当然孫引きの禁止を含む)など
基礎中の基礎をきちんと叩き込んでやって欲しいと思います。


昔々の話ではありますが、
しかもたかが卒業論文ではありますが、
私もまた、1年かけて史料をあつめ、
先行論文をあつめ、
先人の研究を踏まえつつ
自らの意見との違いを
史料を用いて論じました。

たかが卒業論文ですら、
必要な先行論文が国立国会図書館にしかなかったため、
東京に出向いてその複写を手にしました。
孫引きすればそんな手間もいらなかったのですが、
論文に引用するのに孫引きはありえません。
ましてや、
HPの内容をコピーペーストするなど
あってはならないと思います。


小保方さん。
理研に対して不服申し立てするもしないも
あなたの自由でありますが、
自らの「論文」に対するあまりにも
安易な幼稚な資料の扱い方は
大いに反省していただきたいと思っています。

そして、本当にSTAP細胞があるのであれば、
今度こそきちんとした資料の扱いをしたものを
時間がかかっても一つ一つ丁寧に
立証していって欲しいなぁと願って止みません。


論証というものは
ウソのない
事実の積み重ねの上にこそ
成り立つものであるということ。

そして、
「論文」というものをとおして
立証する上においても
どんな小さなウソでも存在させてはいけないということ。

その論がどれほど素晴らしくても
小さなウソ一つのせいで
その論自体の信憑性が疑われてしまうことがあるということ。

あらゆる研究者の方々には心に留めて於いて欲しいなぁと
願って止みません。
そしてそのことを後輩の研究者として育っていく
学生さんたちに教えてあげて欲しいなぁと願っています。
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by pen-p | 2014-04-04 11:51 | にほんご | Comments(0)

樋 考

「樋」という字を入力するのに「とゆ」と入れた私。
「とゆ」では「樋」は出てきませんでした。

う~ん じゃあ・・・
「とい」と打つと今度はちゃんと「樋」と出てきました。

私、「樋」ってずーっと「とゆ」と呼んでいました。
でも「雨樋」は「あまどい」って呼んでるんだから、
「とい」が本当だってのも知ってたのですが、
「とゆ」とも呼ぶと思っていました。
「とゆ」が方言だと思いもしていませんでした。(笑)


いつものごとく、
「とゆ」を古語辞書で調べてみましたら、
なんと古語辞書にも載っていません。
ついでに「とい」を調べても載っていませんでした(・0・)

これにはちょっとビックリ!

で、
「樋」を漢和辞書で調べてみると、

【樋】木の名前 (国)ひ とい かけひ 竹や木などで作り、かけわたした水道
                      (『新字源』 角川書店)

とあります。

「樋」を古語辞書で調べてみると

ひ(名)①【樋】ア 水を遠くへ導くため、竹や木で作った管。とい。
筧(かけひ)・うずみ樋などがある。

ついでに
「筧」「うずみ樋」も古語辞書で調べてみると

かけひ【筧・懸け樋】(名)竹や木を地上に掛け渡して水を引く樋
うづみ樋【埋み樋】 (名)土中に埋めて、水を流す樋。

                      (『古語辞典』 旺文社)

つまり、そもそも「樋」は「ひ」であって、
木や竹でつくった水を流す場所をさし、
その形状によって、
掛け渡してゆくものを「かけひ」といい
土中に埋めてしまうものを「うづみ樋」と言ってたようです。

そして今回私が(ん?)と思った
「とい」は古語辞典には載っていませんでした。

私は、「戸」につく「樋」で
「とい」となったのではと推察しております。
そして、「とい」自体が随分最近になってから出来たものではないか?とも
考えております。

家の出入り口で上から次々と雨がかかると不便なので、
出入り口に落ちてくる雨をよけるために
戸につけた樋が「とひ」となり「とい」となっていったのではないかな?と
思っております。


ふとしたきっかけで、普通につかっている言葉にはいろいろ紆余曲折を経て
今に至っている不思議を感じることがあります。

ホントにほんごっておもしろい(^^)ですね
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by pen-p | 2012-02-09 23:21 | にほんご | Comments(0)

年賀状

年賀状の季節です。
が、
先日NHKで今年の年賀状はちょっと違うといっていました。
「謹賀新年」とか
「あけましておめでとう」だとか

「めでたい」という言葉を省いて
前向きな言葉を並べたものを送る人が
多くいるといった内容のものでした。



「へ???」

年賀状というものが何かって
分かっていってるよね???

何でめでたいのか分かってる???

っていうか、

何を言ってるんだぁ!!!

っていうのが私の感想。




そもそも、年賀って本来、お世話になった人たちに
年明けの挨拶に参上しご挨拶を申し上げていたものでした。
それを略式化し、
はがきで新年の挨拶をするようになったものが年賀状です。


「謹賀新年」 つつしんで 新年を よろこぶ
「恭賀新年」 うやうやしく 新年を よろこぶ
「頌春」   春を たたえる
「迎春」   春を 迎える

いろいろあった昨年のお礼を言い
新しい年をむかえられた感謝と喜び
新しい年にむかう思い
そんな挨拶なのに、

それのどこがおかしいというのかしら?



昨年は色々あって大変だったけど
今年は少しでも良い年になればいいね。

色々あった年だったけど
何とか新しい年を迎えることができたね。
今年もよろしくね。

そんな当たり前の挨拶を、
震災があったのに「よろこぶ」なんておかしい
原発事故があって大変なのに「おめでとう」なんておかしい
という
そんな発想が私には思いは分かっても
どう考えてもおかしいのは
そんなことを言う人たちだと思います。


大変なときだからこそ、
そんな中でも、
新年をむかえられたのであれば、
やっぱりそれは
「めでたきこと」であり

大変なときだからこそ
新しい一歩をふみだせることは
「よろこばしきこと」であると
思います。
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by pen-p | 2011-12-06 09:00 | にほんご | Comments(0)

間 と 室 の 空間

ある日のこと、
おとうとくんが寝る直前に聞きました。

「おかあちゃん、今いる部屋って寝間やなぁ。」

(何とも変わった質問をするなぁ)と思いつつ

「うん。そうやで。寝間やで。」と答えました。

すると

「寝間ってうちだけの言葉?」とまた変わったことを聞きます。

「え?? 普通に使うと思うけど・・・」と答えると

「学校で、「ねま」って言葉はおとうとくんちの言葉やって言われたから・・・」と言います。

「え? そんなことないやろ。 寝間と違ったら何?」と聞くと

「寝室。」


なるほどな!とそこで気づいた私。
以下気づいたことをまとめてみました。





1「間」の空間
  「間」の付く部屋には
  「寝間」のほか
  「居間」「土間」「仏間」「客間」「洋間」などがあります。


2「室」の空間
  「室」の付く部屋には
  「寝室」のほか
  「客室」「浴室」「和室」「茶室」「会議室」などがあります。
 

3「間」と「室」
  「間」とは・・・建物の柱と柱の間のこと。(『古語辞典』小学館)
          柱と柱のあいだに自由に開閉の出来る
          襖や障子で仕切られた空間であり、
         「間」の空間は俗にいう和の建築様式により多く
          生じる空間であると思います

 「室」とは・・・「むろ」と読んだ場合、
          四方を囲い閉じた部屋。
          壁を塗りこめて作った家や部屋(『古語辞典』小学館)
          襖や障子のように自由に取り外したりできず、
          しっかり壁で囲われた空間で、
          現在は洋の建築様式により多く生じる空間だと思います。



実際、ウチの「寝間」とよんでいる部屋は、和式の部屋で、
襖と障子と畳の部屋です。
ちなみに、部屋のほとんどがウチの家では和式の部屋です。
仏間も床の間も寝間も居間もあります。
さすがに土間はありませんけれどね(笑)

今、襖と障子と土壁のもともとの和式の建築様式の家は、
本当に少なくなってきています。
実際、新築の家の多くは、フローリング中心の洋式の家です。
当然、「間」の空間でなく「室」の空間です。

その生活様式の変遷の中で、
「間」の空間がだんだん減っていき、
「間」の空間の部屋がどんどん減っていっているのでしょう。
「土間」も「仏間」も新築の家でそれらを持っているのは、
敢えて作ることを希望しなければなくなっています。


間違いなく、「寝間」はウチだけの言葉なんかじゃありません。
普通に日本語の中で息づいていた言葉でした
しかし、生活様式の変化に伴い、
建築様式が変わり、
徐々に日本語から消えつつある言葉となってしまったのでしょう。
そして、「間」の空間は、
徐々に消えつつある文化なんだと感じました。         
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by pen-p | 2011-09-05 23:58 | にほんご | Comments(0)

「がり」

伊賀の辺りで、
「さびしがり」とか「うれしがり」とか「こわがり」とか
「○○がり」という言葉がちょくちょく使われます。

「こわがり」なんかは私自身標準語かな?
と思ってたくらい普通につかっています。
が、
国語辞書には載っていません。


この「○○がり」

「さびしがる」「うれしがる」「こわがる」といった
「○○がる」という五段活用動詞を作る「がる」が元なのだと思います。

 ーがる
 〔五段活用動詞をつくる〕・・・とおもっているようすを示す 
                    (『新選国語辞典』小学館)

この
「○○がる」の連用形
「○○がり・・・」の
「・・・」に「すぎる」が入った

「さみしがりすぎる」「うれしがりすぎる」「こわがりすぎる」
に「人」がくっついた

「さみしがり すぎる人」「うれしがり すぎる人」「こわがり すぎる人」
の後ろの「すぎる人」がいつのまにか省略されるようになり、

「さみしがり」「うれしがり」「こわがり」となったのかな?と思っています。

ですからこの言葉、
「さみしがる」「うれしがる」「こわがる」という行為に対し、
肯定の意というよりは、
ちょっと程度が過ぎてるよ!軽い否定のニュアンスが含まれているのだと思います。
「寒がり」「暑がり」もそうですよね。


ところで、
これって、たぶん関西では普通に使う言葉ですよね。
他の地域では使わないのかしら?
その辺は調べてないので、
何がご存じのことがございましたら
お教え下さいね♪
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by pen-p | 2010-11-12 08:54 | にほんご | Comments(0)

明日

おとうとくんが 国語のテストを持って帰ってきました。

毎度のことながら、
違っていたところの確認を一緒にしていると

ん???

「なんでこれ×なん?」
と私が聞くと

「わからん!」
とおとうとくん

漢字の読みの問題で


 明 日 の 天 気
(   )

とあり、

おとうとくんは「あした」と答えを書いてありました。

しかし「あした」は×で「あす」は○なんだと言われたそうです。

そこで普段使っている国語辞書を調べてみると
「明日」は「あした」でも「あす」でも載っていました。


翌日、返してもらったそのテストに付箋を貼って、
先生にこれはどうして×なのか聞いてくるようにおとうとくんに言いました。

すると先生は、
「あした」は口語であり、
普段の話し言葉なので×にしました。
おとうとくんの持っている国語辞書にも載っていませんでしたので
×です。

と先生はテストに書き込んで返してくださいました。


「明日」を「あした」と読んではいけない。

ビックリしました。


おとうとくんには、
「明日」は確かに「あした」とも読むので、
おかあちゃんが採点してたら○をあげます。
でもテストに出るくらいだから、
「明日」を「あす」と授業中に習ってあるはずなので、
今度からは
テストに解答を書くときは
先生が書いて欲しいだろうなぁという答えを書くようにしなさいね♪
と言っておきました。


しかし・・・
「明日」を「あした」と読むのが×というのは、
いくら説明を聞いても納得ができません。
「昨日」は「きのう」は×で「さくじつ」じゃないとダメなのかしら???
そりゃあ「去年」を「きょねん」と読まずに「こぞ」なんて書いてあったら、
現在普通に使う言葉じゃなくなってるので
×って言われても納得できるんだけど・・・

小4で「去年」を「こぞ」と書くっていうのは
まぁない話しではありますけれど。ね♪


知識としては、
「明日」は「あす」も「あした」も両方覚えておいた方が絶対いいですよね。
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by pen-p | 2010-07-08 00:55 | にほんご | Comments(2)

こそあどことば

夏休みの宿題をしていたおにいちゃん。
ぶつぶつ言いながら「こそあどことば」をうめていました。

あの・その・この・どの

あれ・それ・これ・どれ

あっち・そっち・こっち・どっち

「あれ?むこっちはないんや!」とおにいちゃん
「むこっちは伊賀弁!!」と私。
「そっか!むこっちは「む」やから「こそあど」とはちがうわ!!」
と分かってるのかどうだかちょっと不安な理解の仕方ですが、まぁこれはいいんです。


そのつぎに、
ん??

(  )・そこ・ここ・どこ


ん〜・・・・・
「あこ?」と悩んでるおにいちゃん。



横からおとうとくんが
「「あこ」や!!鉛筆あこにあるって言うやんか!!」
「あっこかもしれへんな・・・。」と得意満面の顔で言っています。

「そっかぁ」とおにいちゃん。



「「あこ」も「あっこ」も方言!!」というと、

「え〜!! じゃあ、何が入るの?」と言うので
「あそこ」と答えると、
「なんであそこだけ「そ」が入るんや!?」と悩んでおりました(笑)



しかし、その後調べてみると、
「あこ」という言葉は古語辞典には載ってるんですね。
漢字は「彼所」
ですから
「彼処」「其処」「此処」 「何処」
からいくとやはり「あそこ」が正解のようです。



でもね、
おにいちゃんじゃないけれど、
どうして「あそこ」だけ「そ」がついてるんでしょうね。


みなさんは「あこ」とか「あっこ」とかは言いませんか?
なぜ、「そ」がつくのかご存じの方はご連絡下さい。
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by pen-p | 2009-08-14 00:44 | にほんご | Comments(2)

風のむくまま      気の向くまま      そこはかとなく     書きつづりませう


by pen-p